教育参考館は生徒の精神教育に資するため昭和11年(1936)に建てられた。イオニア式列柱の玄関を入るとロビーがありその奥に2階に上がる階段がある。2階正面にはネルソン提督と東郷元帥の遺髪がそれぞれ容器に入って安置してある。生徒はこれに最敬礼をしてから中の資料や戦死者銘牌などを拝観する。まず明治43年(1910)、事故により沈没して乗組員13名とともに殉職した第六号潜水艇の艇長佐久間大尉の遺書が目に入る。遺書は次のように始まる。「小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申シ訳ナシ サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲ処セリ・・・・」。次に彼は将来の潜水艇の発展のために事故の経緯を詳記する。最後の文面は次のとおりである。「謹シンデ陛下ニ申ス 我ガ部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ワン事ヲ 我ガ念頭ニ懸カルモノコレアルノミ」。佐久間艇長は海軍軍人の鑑とされ、生徒がもっとも尊敬する先輩の一人であった。日曜日の軍歌演習でも第六潜水艇の歌は生徒の愛唱する歌の一つであった。その1節は次のとおり。 阿多田の島の沖にして 艇(ふね)諸共に沈みたる 第六潜水艇員の 雄雄しき最後を見よや人 阿多田島とは上の案内図で宮島の南方、西能美島(江田島とは地続き) の西方に位置する島で、案内図では島の輪郭だけが示され島名が記されていない。島の左の×印が第六潜水艇の遭難地点である。 この佐久間艇長の遺書は米国の著名な新聞記者ハンソン・ボールドウインを感激させ、戦後しばらくの間ワシントンの米国立公文書館の玄関ロビーにその英訳が掲出されていた。 そのほか戦死者の遺品や遺書が展示されている。10数年前、戦死者の遺書の前で泣き崩れている若い女性の姿を見たことがある。身内の人でもあったろうか。 この教育参考館は江田島観光の目玉である。観光客は正門(われわれの時代には正門は江田内に面した表桟橋であった。今の正門を裏門と称した)の受付で登録すれば1日に数回、海上自衛隊の若い士官が無料で構内を案内してくれる。所要時間は1時間半。なおネルソンと東郷元帥の遺髪は今は置いてない。
注:上の2曲のメロディは 「天翔艦隊」より拝借しました。